子どもの「なんで?」「どういう意味?」という問いは、得てして返答に困ることが多い。「概念的に知っているけど、言語化して応えるのが難しい」みたいなケース。カタカナ語とか、特に。
そんな時に、どうやって答えるべきか。調べてみると、「わからないことは、わからないと正直に言っていい」「知ったかぶりでごまかすより、一緒に調べる方がいい」という考え方が、教育系の情報では割とよく言われている。
理屈としては、よく分かる。分からないことを恥じずに言えることは、子どもにとっても「分からなくていいんだ」と思える安心感になる、ということなんだと思う。大人は完璧であるという間違ったイメージを持たないことも大きい。
ただ、実際にやってみると、そう簡単でもないと思える機会があった。
「とばりって何?」に答えられなかった話
ある日、息子から聞かれた。
「とばり(帳)ってなに?」
一瞬、頭の中で言葉を探した。「夜の帳が下りる」という表現があるな、比喩的な言い方だから、たぶん「降りる」という言葉とセットで使われることが多い……ということは、幕みたいなイメージなんだろうか。
そこまで考えたところで、止まった。うまく説明できる自信がなかった。ここまで、約3秒。
結局、「わからん」とだけ答えた。挙句、その後調べることもしなかった。
翌朝、息子はもう覚えていなかった
次の日の朝、なんとなく気になって「昨日の、とばりの話だけどさ」と聞いてみた。
息子は、きょとんとしていた。そんな話をしたこと自体、記憶からきれいに消えていたようだった。
適当に流されたと思われたのか、単純にその時だけの興味だったのか。真相は分からない。ただ、少なくとも息子にとっては、「答えが返ってこなかったこと」自体は、大した問題ではなかったらしい。

「調べてみよっか」と提案しようとしたら、いま漫画読んでんだけどみたいな反応を返されてしまいました。
気にしていたのは、自分の方だった
一般的には、「わからない」と答えたあとは「一緒に調べよう」まで続けるのが良いとされている。今回、自分はそれをしなかった。
正直に言うと、そのことが少し引っかかっていた。ちゃんとフォローすべきだったんじゃないか、と。辞書をひくように促したり、ネットで調べたり。できることはたくさんあったはず。子どもの語彙が増える貴重な機会だったかもしれない。
でも、息子があっさり忘れていたのを見て、気づいたことがある。「わからない」で終わらせたことを気にしていたのは、息子ではなく自分の方だった。
子どもの好奇心は、大人が思うよりずっと軽やかに移り変わっていく。すべての「わからない」に、きちんと決着をつけてあげなければいけない、と思っていたのは、もしかすると自分の思い込みだったのかもしれない。

大人から「調べて」ばかりになると、子どもから教えてと言いにくくなるかも…?メンドクサイだろうし。
まとめ

「わからない」と正直に言えること自体は、悪いことじゃない。
そのあと必ず一緒に調べなければいけない、というのも、たぶん絶対のルールではない。子どもの興味が本当にそこにまだあるなら、また聞いてくるだろうし、なければ、それだけのことだったんだと思う。
「わからない」と言えたことより、「わからないままにしたこと」を気にし続けていたのは、結局のところ自分自身だった。それに気づけただけでも、この件はよかったんだと思うことにしている。知ったかぶりするよりも、よほどマシなことだと思う。
ただ、自分のなかでは失敗として残り続けそう。いつかタイミングを見て、一緒に調べる機会を持ちたい。「教えて」の前に自分で調べてほしいと願うのは、自分たちのエゴだろうなと感じたひと時。


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