子どもに、つい「言うことを聞かせよう」としている自分に気づく瞬間があります。
親と子は、上下の関係ではなく、同じ一人の人として尊重されるべきなんだと思う。当然、頭では分かっているつもりです。
……のはずなんだけど、実際の場面になると苛立っていることも多く、どうしても「言うことを聞かせたい」という方向に気持ちが向いてしまいます。

なかなか難しい。ジレンマ。
「言うことを聞かせたい」の中身
- 「失敗する前に教えたい」
- 「困る前に助けたい」
- 「間違った選択をさせたくない」
- 「言えばすぐ済むことなのに」
こういう気持ちが、次から次へと湧いてきます。
言葉にしてみると、一見どれも「子どものため」に見えます。もちろん、本当に子どものことを心配している気持ちもあるんだと思います。
でも、その中には、「子どもに自分の思う通りに動いてほしい」という気持ちも混ざっているんじゃないか、と感じることがあります。「子どものため」と「自分の思い通りにしたい」は、きれいに切り分けられるものではないのかもしれません。
だって、自分の感情だし。
それを続けると、何が起きるか
このまま「言うことを聞かせること」を優先し続けると、子どもは自分で考える前に、親の答えを待つようになっていくかもしれません。自発的に考えて進めない子になってしまうかもしれない。
それは、避けたい。
自分で考えて行動した結果を、自分の目で見ること。あるいは、行動しなかった結果を、自分の目で見ること。
そういう経験が、本来は一番身につく学び方なんだろうと思います。
もちろん、何でも子どもに任せればいいわけではありません。
子どもを尊重することと、親として責任を放棄することは違います。命や健康に関わることなど、取り返しのつかない失敗については、親が先に回避させる責任があります。

当然、そこは別の話です。
自分は、何を恐れているんだろう
ここまで書いてきて、結局のところ一番向き合うべきなのは、子どもの側の問題ではなく、自分の側の問題なんだと気づきます。
自分は、いったい何を恐れて、そこまで子どもをコントロールしたくなるのか。
失敗させてしまう不安なのか。
周りからどう見られるかという不安なのか。
はたまた、「その場をすぐ収めたい」という、自分本位な楽さなのか。
あるいは、自分自身が子どもの頃から受け取ってきた価値観も関係しているのかもしれない。
子どもは大人の言うことを聞くもの。
親の言うことには従うもの。
そんなふうに、言葉として教えられたわけではなくても、周りの大人たちとの関わりの中で、知らないうちに身につけてきたものがある。
自分では「親と子は対等に尊重されるべきだ」と考えているつもりでも、いざ子どもと向き合うと、昔から自分の中にある価値観が顔を出す。
「親なんだから、言うことを聞かせなければならない」
そんな考えが、自分の中に残っているのかもしれない。まだ、自分でもはっきりとは分かっていません。

「子どもが迷惑をかけるのなんて、お互い様」くらいに思いたいですね。
まとめ

「言うことを聞かせること」自体が目的になってしまった瞬間は、一度立ち止まって考えたい。
子どもをコントロールしたくなる気持ちの正体は、たぶん子育ての話であると同時に、自分自身の話でもあるんだと思います。
子どもをどう動かすかを考える前に、まずは自分が何を恐れているのか。
そんなことを考えてみる必要があるのかもしれません。
かえるの子はかえる。もちろん、自分も。



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